2012年01月30日

私が日本語教師になったわけ その2

■その2:バンドンのスパゲッティーで「日本語教師になれるな」と思った


2,3年後、少年サンボンは日本語学科に所属する学生になっていた。

サークル棟のPCのOSはウィンドウズ3.1。
8インチディスクを入れ『ぷよぷよ』で遊んでいた記憶がある。
「ガチンガチン、ガチンガチン」読み込みの音が銀玉鉄砲のように響いた。

駅前のゲーセンでは『真・侍魂』『ときめきメモリアル・対戦パズル玉』が流行っていた時代だ。


日本語学科に入った時点で、卒業後は日本語教師になることを漠然と、しかし確信していた。
サンボン家のメンバーは、基本「MOTTAINAI」精神が注入されているのだが、
そのためか、日本語学科と関係のない仕事に着くという考えは殆ど起きなかった。


2年生の春休み、インドネシア等3か国をまわる研修旅行の話があり、参加した。
初めての海外、というよりも飛行機に乗ることさえも初めてだった。

ジャワ島の真ん中辺にあるバンドンという街でパジャジャラン大学の学生に特別授業をした。

今見たらつっこみ所満載でブクブクと沈みそうな特別授業だっただろうが、
グループで半分徹夜して準備した熱意が伝わったのか、それなりに手ごたえを感じた。

しかし、授業の手ごたえよりもその後に案内された街のスーパーで見かけた物で
「あっ俺、日本語教師になれるな」と思った。



それは、「スパゲッティー」だった。



当時、4畳半の学生アパートに一人暮らしをしていたのだが、
近くに南関東ローカルのスーパー「いなげや」があった。
そこでいつも買う1束100円のスパゲッティー500g(原産国:インドネシア)。

お米でなければ、これが主食だった私は、いつも食べるのと同じ物がここに売っている。
だから「この街で暮らしていける」という変な自信を持ったのだ。


「海外での一人暮らし」に対する印象が「よく分からなくて不安」から
「大丈夫! 食うには困らない!」に変わった。

特に海外で日本語を教えることを躊躇しなくなったのはあのスパゲッティーのおかげだ。


■その3:バンコクの周辺で「なりつつあるぞ」と思った

posted by サンボン at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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