2012年01月31日

私が日本語教師になったわけ その3

■その3:バンコクの周辺で「なりつつあるぞ」と思った

更に2,3年後、学生サンボンは卒業し、青年サンボンへジョブチェンジした!(無職だが)

もともとはアルバイトで貯めたお金を持ってインドネシアへ行くつもりだったのだが
ジャカルタでの暴動のため断念、ゼミの先生のお知り合いのいるタイで就職活動をすることにした。


60万円ほどのお金が無くなれば、帰国するよりない。
一番安かったビーマンバングラディッシュの機内はカレーの匂いが漂っていた。


もちろん、国内の日本語学校も考えたが、ちょうど氷河期のど真ん中でポストは縮小傾向。
大学の日本語学科を出ただけで、他のアドバンテージがほとんど無い青年サンボン。
仮に非常勤で採用されても実家暮らしでもないため日本語教師の給与では生活費が賄えるか怪しい。


また、「パソコン通信」から「いんたーねっと」なるものに変わりつつある時代だった。
なので、「いんたーねっと」で海外就活する手もあったのだろうが、やはり強みがない。

海外なら新卒であれ、現地に居れば直接面接がしてもらえる。
だから履歴書が弱くてもまだチャンスが多いだろう。
そんな考えだったと思う。


微笑みの国へ到着後、カオサンの宿でホットメールのアカウントを取って、
ゼミの先生のお知り合いのM先生から就職活動の方法を教えていただいた。


国際交流基金バンコックセンターには求人用の掲示板があった。
そして、図書館には日本語教育関連の書籍や教授法のビデオも豊富にあった。


朝起きて図書館へ行き、掲示板を確認。図書館でビデオを見て、本を読む。
屋台でお昼を軽くすませ、午後も同様。帰り際、もう1度掲示板を確認。
夕食に白米を買って帰り、魚のトマト煮の缶詰をおかずにする。寝る。


ある先輩教師からは「修行僧のようだね」と言われた。
借りたアパートの大家さんからは「電気代が安すぎるけど大丈夫?」と聞かれた。


月1で開かれる教師会に参加し、知り合った人の授業を見学したり、ゲストとして使ってもらった。


そんな生活を続けて5か月。
予定していた教師のドタキャンにより、ある大学から電話がかかってきて採用された。

直接的な「私が日本語教師になったわけ」は「他の教師のドタキャン」だったのだが、
それまでの日々は、非常に多くの先達の姿を見る機会になっていた。


ずいぶん後に「正統的周辺参加」や「発達の最近接領域」という言葉を習ったが、
下っ端の徒弟がより熟達したメンバーの仕事を見よう見真似でやってみて学習するように
あの期間、あの状況に身を置いたことで、だんだんと日本語教師に成っていったのだと思う。

posted by サンボン at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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